11年目の3.11
東日本大震災で被害の大きかった地域は幾つもありますが、そのひとつに挙げられるのが宮城県名取市の沿岸部です。
上記写真は、仙台空港に向け着陸の最終アプローチに入る機内から撮影したもの。不自然にだだっ広い、整地された地面が延々と広がる殺風景な姿は、物悲しさが漂います。
3.11で私が一番ショックを受けたのは、被害の甚大さもさることながら、日本を取り巻く空気感でした。
日本のような(良い意味において)同一性を重んじる国民性があれば、被災者への支援や災害の復興も猛スピードで進むと思っていたからです。なにせ同じ地震大国・日本列島に住む身ですから、明日は我が身と連帯した助け合いの輪が広がると思っていました。
そして何より、私は日本の政治や行政のシステムに高い信頼を置いていました。
しかし、現実は大きく異なります。危機に対し一丸となって取り組む連帯感どころか、不毛な対立と分断が深まったばかり。
とりわけ原発事故は完全にイデオロギーが火花を散らすリングに変わり、そして10年以上を経ても尚、双方の主張は平行線を辿ったまま無用に年月だけが浪費され、いまに至ります。
「3.11以降、我々が直面しているのは、震災でも原発事故でもなく、この日本式システムそのものなのです。即座に対応できず、責任の所在が曖昧であり、また、システムが極めて不透明だということです。」
(高城剛「時代を生きる力」2011年6月発行より)
パンデミック下でも繰り返された、この日本式システム。どうやったら崩すことができるのでしょうね。〔了〕