コロナ禍にみる「日本型組織」の病巣


太平洋戦争末期に強行された「特攻隊」こと自爆攻撃の特別攻撃隊。
 
「必ず死んでこい」との命令に反し、9回の出撃から生還した名もなき若き青年特攻兵の実話を描いたノンフィクション作品「不死身の特攻兵〜軍神はなぜ上官に反抗したか」(著・鴻上尚史氏)は出版後大きな反響を呼びました。  
  
青年だった特攻兵は「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」と言って、上官の命令を無視し、特攻作戦からの生還を続けます。「死ぬまで何度でも行って」の言葉からも、彼が死を恐れて逃げ帰ったのでは無いことが分かりますが、軍上層部は彼を冷遇し続けます。
 
飛行機が好きで、その操縦にも長けた青年には、この特攻という戦力を消耗するだけの作戦に合理性が見出せず、敵に爆弾を投下しては基地に帰っていきます。
 
"特攻は1度しか攻撃できないが、生き帰れば何度でも攻撃ができる"
 
そんな当たり前の事に理解を示そうとしない合理性を欠いた軍上層部。次第に軍上層部は彼の存在を不都合なものと認識し、生きて還ってきた彼の殺害を計画する迄に至ります。
 
 
著者の鴻上尚史氏が、この特攻兵の生還話しを通じ、伝えようとしているのが「命を消費する日本型組織」の欠陥。
 
敵を倒すための作戦のはずが、終いには敵を倒して生きて還ってきた特攻兵の殺害を企てるという、手段が目的化した狂気の組織行動。そして、これは何も戦時中だからこそ起き得たものでは無く、現代における組織構造にもそのまま当てはまる。我が国・日本に脈々と続く病巣であることを炙り出していきます。
 
ここ最近、連日の新型コロナ騒動においても、この「命を消費する日本型組織」が露呈したと感じています。日本社会の公的抑圧は何かが狂っていると思えてなりません。
 
 悲劇の特攻作戦から75年を経ても尚、真に大切なものへのリスペクトと合理性を欠いた「命を消費する日本型組織」の真髄が盤石健在であるという日本の最も残念な部分が再確認された昨今です。〔了〕