「貧しき者は幸いなり」長岡鉄男のオーディオ流儀

長岡鉄男「マイ・ステレオ作戦」This book was written by NAGAOKA Tetsuo in 1970. He is a famous Japanese audio reviewer.

先日の記事で紹介した「波動スピーカー」を聴いていたら故・長岡鉄男氏を思い出しました。というのも、長岡鉄男氏は様々なスピーカーの可能性を模索し続けた代表格の一人だからです。


長岡鉄男氏は1970〜90年代に活躍した(とりわけ80〜90年代に強い影響力を持っていた)オーディオ評論家で、メーカーに忖度しない鋭い批評がウケて、様々な雑誌に連載を持ち、著書も数多く手掛けていました(長岡鉄男氏は2000年5月に74歳で死去)。

 

そんな長岡鉄男氏が1970年に書いたのが冒頭の画像にある「マイ・ステレオ作戦」です。私が生まれる前の本なので、古本で購入した訳ですが。この頃から長岡鉄男氏の評価軸が一貫していた事が分かりとても興味深いです。

長岡鉄男氏は、オーディオの音を良くする(自分好みにする)のは、何もスピーカーやアンプといった機器をより高価なものに買い換える訳ではない、と主張します。本書が執筆された1960〜70年においてモダンなライフスタイルである都市生活者としてコンクリート造りの2DK「団地」に住む庶民にとって、住環境を圧迫するような大型スピーカーシステムは不要と説き、部屋の家具や生活スタイルと調和の取れたオーディオシステムの可能性を探っていきます(いまで言うなら都市部の分譲マンションでしょうかね)。

とりわけ、部屋全体の音の反射・反響などを考慮にいれた改善が必要であり、そうした改善なき住環境に高いオーディオ装置を与えても無意味と説き「改善は考えずに買い換えだけを考えるから一生不満は続く」と斬り捨てます。

 

他にも本書では「貧しき者は幸いなり」と、庶民が故に伸び代のある趣味としてのオーディオを堪能できると主張。「ステレオ高きが故に尊からず」と読者を勇気づけます

そして、長岡鉄男氏の特徴でもあるのですが、自分だけのオーディオを自分の手で造ってしまおう!と自作の道に誘い込むのです。そうした自分だけのオーディオ造りとして、本書のタイトルでもある「マイ・ステレオ」の構築を目指す訳です。

 

波動スピーカーを見て、長岡鉄男氏と本書を思い出したのは、結局のところリスニングポジションが一定では無い住環境においては全方位に音を拡散できる「無指向性スピーカー」に可能性を見出している点です。当時、既に無指向性スピーカーは幾つか製品化されていたものの、普及することはありませんでした。メーカーが造らないのなら、自らDIYで造ってしまおう、と無指向性スピーカーの設計も本書には紹介されてます。

相変わらず左右2本並べた伝統的なオーディオが主流なものの、より音楽をカジュアルに楽しむ装置として、アップル「HomePod」やAmazon「Echo Dot」、ソニー「LSPX-S3」、バルミューダ「BALMUDA The Speaker」、果てはキヤノンまでが「albos Light&Speaker」を出す等、無指向性スピーカーが花盛り。

無指向性スピーカーは、音響的理論は1960〜70年代には確立されていたものの、高音質化されたBluetoothの登場によってスピーカー本体の設置場所を選ばなくなったことで使い勝手が大幅向上し、各社がこぞって製品化するようになったと言えます。

長岡鉄男氏は、自作という形で試行錯誤を繰り返して無指向性スピーカーの持つ可能性について1970年時点で言及していたのはとても興味深いですね。

 

長岡鉄男「マイ・ステレオ作戦」の本文より。In a book he wrote in 1970, Mr. NAGAOKA Tetsuo noted the potential of back-loaded horn speakers.

また、長岡鉄男氏というと、小さなフルレンジスピーカー1個だけで澄んだ高音から迫力ある低音までを奏でるバックロードホーン方式を採用した「スワン」と名付けられたスピーカーが有名です。

「スワン」の発表が1986年、後継の「スーパースワン」が1994年ですが、本書で既にバックロードホーン方式に可能性を見出して試行錯誤をしていることが幾度となく触れられている点もとても興味深いです。

 

長岡鉄男氏は多くの著書を残していますが、電子書籍で再販されたものはありません(私の知る限り)。

その理由としては、著書で具体的に言及されているオーディオ機器等がとっくの昔に販売終息になっているので、いまさら読んでも直接の参考にはならない点が挙げられます。時代性のある著作はどうしてもこの問題を避けられませんよね。

加えて、読んでいて気づいたのは大正15年生まれな「オッサン節」が強すぎて、今なら出版コードに引っ掛かる表現のオンパレードだったりする点も電子化しにくい部分と考えます。差別用語が頻出するのは時代性でしょうが、他にも女性蔑視となる表現もこれまた多く使われます(オーディオを女性になぞらえ、鈍器を名器たらしめるには云々など)。

控えめな表現の一文を拾ってみると「書いたてのカートリッジや、スピーカーは、処女と同じで、最初からそんなに味や色気のあるはずがない」等、アラフィフで昭和オッサンな私としてはニンマリする箇所であっても今では許されませんからね。

 

気になる人は古本屋で長岡鉄男氏の著書を探してみてください。時代の倫理観は大きく変わっても、オーディオの理論は変わらない点に気付かされます。〔了〕

※長岡鉄男氏のオーディオルーム「方舟」は健在のようです↓



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