デジカメ黎明戦記(2)〜苦行だった、コダックDC20

Kodak DC20 Digital
1996年6月、フィルム界の大御所コダックが初のデジカメをリリースしました。その名は「KODAK DC20」。コダックのDCシリーズは安価な民生機としてリリースされたデジカメですが、私にとっては苦行とも言える程に辛いデジカメでした。

 
民生機としてのデジカメの歴史は、1994年にアップルがリリースした「QucikTake100」が始まりというのが定説ですが、このQuickTake100を製造したのは他でも無いコダックでした。ただ、このQuickTake100には液晶モニターが存在せず、双眼鏡のようなカタチで覗き穴のような素通しファインダーを覗いて撮るだけ。画像形式は今では聞きなれないPICT形式で、640×480の解像度を持っており、内臓メモリに(僅か)8枚が記録できるのみでした。
 
話をDC20に戻しますが、このDC20はそのコダック社が作った、極限にまでシンプル構造にしたデジカメでした。何と言っても画期的だったのは価格の「安さ」。DC20は僅か$299、日本での定価は39,800円で、当時のドル円レートが109円程度でしたから、本来なら32,000円程が適正価格となる計算ですね(程なく店頭価格は29,000円程度まで下がってましたが)。
 
DC20のスペックは、レンズが単焦点47mm(35mm判換算)の絞り開放f4.0。ISO800/1600のみ自動切替で、解像度493×373pixの約18万画素。カタログ表記は27万画素とあったけれども肝心な有効画素数はその70%弱でした。メモリは内蔵式で撮れる枚数は僅か8枚(!)という驚きの仕様。
 
1998年4月・新宿。夜間は厳しい

 
しかも呆れたことに先述の「ISO1600」は、何とISO800を2回撮影して合成してISO1600相当にする、という驚きの仕様でした。そもそもISO1600の感度を必要とするシーンは暗所ですから、手ブレ必死で三脚が無いとブレブレで撮れない有様でした。
 
唯一の褒められた点は・・・とにかく小さくて軽いことでしょうかね。
  
1998年4月・秋葉原。Fordエスコート

 
そんなDC20ですが、当時撮影した写真がいま手元に全然残っていません。当時、まだCD-Rが普及しはじめた頃だったのでディスク単価も高価だったことや、書き込みに時間が掛かっていたことから、私はもっぱら(既に当時レガシーだった)MOドライブ(光ディスク)に保存していました。それが仇となり、21世紀の今はデータのサルベージに難儀しています。
 
1998年2月・札幌市内

 
また、DC20の写真があまり残っていない理由は他にもあって、本当に画質が悪く、実用に耐えられなかった為でもあります。

それまでフィルムカメラで一眼レフカメラを使っていたダケに黎明期のデジカメの多くは「こんなの写真じゃねーよ」な状況で、とにかく使う度に失望する、苦行のようなカメラでした。
 
1998年4月・旧)東亜国内航空

 
他にも、電池がCR123というカメラ用電池を使うのですが、これが当時1本600円くらいしたのに、200枚弱しか撮れません。1枚あたり3円の電池コストですが、電池入れっぱなしで置いていたら、いつの間にか放電して空っぽになっているし、交換電池はカメラ屋に行かないと売っていなかったり、と何かと億劫でした。
 
1998年・東京都内にて

 
そんなDC20、私が購入したのは98年1月・当時存在したT-ZONE札幌店(に併設されたT-ZONE 札幌Mac & OUTLET館)で、確か12,000円位。結局DC20は殆ど使わず、その後すぐ4月頭に秋葉原のソフマップでSONYサイバーショットF3に買い換えました。
 
DC20の苦行に耐えられず、そこから解放されたい一心で衝動的にサイバーショットを買ったような感じでしたよ・・・ホント。〔つづく