デジカメ黎明戦記(3)〜楽しかったCyber-shot DSC-F3
デジカメの画像形式に現在でも使われる「JPEG」形式。Joint Photographic Experts Groupの略称であるこの規格は、1986年に画像の統一規格を検討するJPEG委員会が発足し検討を重ね、最終選考に残った日本/米国/フランスの3方式から、最終的にフランス方式が採用されたそうです。
この経緯について、選考過程に加わった安田浩氏(東京大学名誉教授)。後日談として「フランス方式が優れていたから、日本は手を引くので米国も引けと説得した」なんて逸話が残っております。
そんなJEPG形式は1992年に規格化されて以来、現在でも使われているデジカメに欠かせない息の長いフォーマットとなりました。
さて、デジカメ黎明期だった90年代の悪戦苦闘は以前の記事(第1回、第2回)で掲載していますが、まだまだ続きます。第3回目の今回は、ようやくデジカメとしての楽しさ・可能性を感じることのできた「SONY Cyber-shot DSC-F3(以下、DSC-F3)」について。
基本スペック
センサーサイズ:CCD 1/4インチ
画素数:35万画素 (VGA 640×480)
焦点距離:46mm相当(35mm判換算)
絞り:f2.0
私がDSC-F3を購入したのは、1998年4月頭。当時、就職した仕事の関係で東京都内に数ヶ月滞在していた事もあり、秋葉原のソフマップで購入。購入価格は覚えていませんが、DSC-F3は1997年11月に発売され、その時の定価は68,000円でしたので、私は4〜5万円で購入したものと思われます。
私の初デジカメは「Kodak DC20」でしたが、これが使う度に苦しい思いをする辛いカメラだった為、購入から3ヶ月程で「DSC-F3」に乗り換えた訳です。
池袋から新宿方面 (1999年9月:DSC-F3で撮影) |
DSC-F3は、初代Cyber-shot(DSC-F1 / 1996年)と同様の形状をしており、性能的にもよく似ていました。3代目となるDSC-F3では画素数こそ35万画素のままでしたが、内蔵メモリが4MB→8MBと倍増され、高画質(ファイン)モードで約60枚ほど撮れるようになりました。
当時のデジカメは内蔵メモリしか使えなかったので、このメモリ倍増は非常に嬉しいことでした(高画質モードで撮らないと、とても使えたものではありませんでしたからね。当時の画質は・・・)。
池袋(1999年9月:DSC-F3で撮影) |
画素数も僅か35万画素(640×480)。所詮、35万画素で撮れる絵なんて知れてます。当時の民生用デジカメはビデオカメラから静止画を切り出しているようなモンでした。実際、このDSC-F3もレンズを見ると「SONY VIDEO LENS」と書かれている程です。
これはデジカメ黎明期の当時でさえも「まぁ、こんなもんだよね」なガッカリ画質。当時は「所詮デジタルなんて、この程度」「デジカメって容量小さくするために間引かれて(圧縮されて)るんだぜ」な認識で、とりわけ私を含めフィルム一眼レフを経験したことある人は「デジタルなんて粗くて無理」がコンセンサスな時代でした。
夜間撮影は滲みがち(1999年1月:DSC-F3で撮影) |
初代DSC-F1や2代目DSC-F2といった旧来機種と画素数は同じ35万画素で変わりないものの、CCDのセンサーサイズが旧来機種の1/3から1/4サイズに小型化されていました。
このメリットは、何といっても安価になったこと。初代DSC-F1が88,000円、2代目DSC-F2が75,000円だったのに対し、DSC-F3は68,000円と安価になってた事にあります。
また、レンズは旧来機種(ともに焦点距離35mm相当)と同じなため、3代目DSC-F3では画角が46mm相当に狭まっており、即ちレンズ歪曲もより少なめ、と当時は言われていました(直接比較したこと無いので分かりませんが・・・)。
反面デメリットは、やはり受光面積が小さくなっている分、暗所には(旧来機種よりは)弱くなっており、暗い場所ではノイズが目立ちました(が、この時代のデジカメなんてどれを比べても目クソ鼻クソの差でしかありません)。
World PC Expo'99 (1999年9月:DSC-F3で撮影) |
他にも色々と面倒なことに、当時はカメラ内の画像を取り出すには、カメラを専用の接続ケーブルでパソコンと接続した上で、パソコン側で専用ソフトを立ち上げて吸い上げる必要がありました。
しかも転送速度が遅く、待たされた挙句に吸い出せたのは粗い画質の35万画素ですからね・・・デジカメ黎明期の当時であっても、画質に関しては一度も満足することはありませんでした。
秋葉原(1999年9月:DSC-F3で撮影) |
そんな画質の悪いDSC-F3ですが、私はとても気に入っており、1998年4月に購入してから2001年12月まで3年半以上も愛用していました。
特徴的な回転式レンズが便利だったことや、反応の良い操作感が小気味好いこと、そしてアルミボディの硬質感と共に精密機械がビッチリ詰まったような適度な重量感が心地よかったので、どこに行くにも手にしていました。
池袋通り魔殺人事件の現場(1999年9月) |
余談ですが、DSC-F3の画質に期待していなかったのかが分かる気恥ずかしい古いエピソードがあります。
当時、私は思いを寄せる女性がいたのですが、その女性は私の住む札幌からは遠く離れた中国地方に住んでいました。
貴重な会える機会には、愛おしいその姿を残して置きたい!と、フィルム一眼レフカメラ(ミノルタα7000)を使用。DSC-F3なんかに頼れるかよ、と(笑)。
つい先日、昔の写真を整理していたら当時に撮影した写真が出てきたのですが、我ながら上手く撮れていると関心します(いま冷静に見ても素敵な女性デシタ)。
20年以上も前の出来事ですが、ちゃんとフィルムで撮っていて正解でした。辛い終わり方をしたけれど写真を捨てずに取っておいて良かったと心底思いましたね(嫁さんには見せられ無いなw)。
ちゃんと撮りたいならフィルム、まして圧縮されたデジタルデータ(JPEG画像)など信用できる訳がない、まだまだそんな時代でした。〔つづく〕