車の所有を正当化し難い時代の愛車論
マイカーの事を「愛車」と表現するのは、ごく一般的ですが、改めて考えてみると「愛」を冠する表現は「愛犬」「愛妻」等そう多くはありません。
より身近で特別な関係性の対象に対してのみ用いられる表現であり、愛車という言葉ひとつをとっても人々が車に対し深い思い入れを込める事が分かります。
他方で車を「持たない」事でのスマートさ、其れは主に経済的合理性に拠るものですが、車を所有せず必要に応じてシェアリングカー等を使用するライフスタイルも支持を広げています。
そんな、車を所有する行為の正当化に難儀する時代に成りつつある昨今ですが、改めて「愛車って良いな」と実感する機会がありました。
それは私の愛車・日産ムラーノ(2代目:Z51型)が不調となり、修理に出して戻ってきた際に「やっぱムラーノ良いな」と心底、感じたものです。
ディーラーから代車として日産マーチ(4代目:K13型)を借りていたから、というとマーチのオーナーに怒られるかも知れませんが、その車の目指すコンセプトが私にとってムラーノがしっくりきた、というだけの事ですが・・・。
私の愛車ムラーノは、V型6気筒エンジンを搭載した3500ccのモデル。日本では大排気量の大型SUVにカテゴライズされます。大排気量の余裕あるパワーと大柄なボディサイズが相まって、運転すると気分が穏やかになれる、そんな点が気に入っています。
日産における車格的には、レクサスのSUV「RX」と肩を並べるものですが、かたやプレミアムブランドであるレクサスとは根本的な出自が違う為、全く相手にされていないのが現実。ムラーノは高級車ではありませんが、とはいえ高品質な車であると考えます。
年間3,000km〜多くても5,000km程しか乗らない典型的なサンデードライバーであり、購入〜維持を考えると、車を所有することに経済的な合理性は見出せません。
其れでも尚、末長く付き合って行きたいと思わせてくれる、私の心に余裕を与えてくれる、そんな稀有な存在こそ「愛車」であり、私にとってムラーノを所有し続ける理由に他なりません。〔了〕