ロスレスがスタンダードとなった今、悪貨に良貨を駆逐させてはならない。


先日の投稿で、YouTubeで音楽を聴く長女(JC1)にガッカリした事を書きましたが、ちょうどネットで下記の4コマ漫画がバズっておりました。



なるほど、長女の心境としてはウザい以外の何物でも無いのでしょうね・・・

 

団塊ジュニア世代な私は、それこそオーディオのHi-Fi大衆化と共に多感な時期を過ごしてきました。レコードは勿論、FM放送のクリアなステレオ音に感動しつつ、カセットテープでのエアチェック(FMラジオ放送を録音)を経て、デジタル時代到来によるCDの登場、DAT、DCC、MD、衛星デジタルPCM放送、SACD、MP3、そして遂にハイレゾやロスレスのストリーミング配信、と、正に”高音質こそ正義”な時代を歩んでた訳です。  

そうした身からすると、音質的に劣るYouTubeで音楽を聴くという行為は、俄かに信じられないのですが、これがウチの娘に限らず、若い世代にはよく見られる行為なのが上記4コマ漫画からも見られます。私の古くからの友人が中学校で教員をしているのですが、彼も同様の事を言っていたのを思い出します。

 

では、若い世代はなぜYouTubeの音質を聴くに堪えると感じているのか。娘に聞くと、音質の差は感じるものの、それよりも利便性が勝るようです。やはりYouTubeはその検索性や関連する曲や動画へのサジェスト性という点でアドバンテージがあるのでしょうね。確かにApple MusicAmazon Music HDのUI/UXはお世辞にも良いとは言えませんからね。

結局のところ、どんなに素晴らしいコンテンツを内包していても、そこに辿り着けなければ存在しないとの同義ですから、検索技術を柱とするGoolgle(YouTube)に圧倒的なアドバンテージがあるのでしょうね(実際、AppleはAppleMusicに限らず、AppStoreもPodcastも尽く検索性は悪い)。

  

せっかくストリーミング配信がロスレスをスタンダードとした今、これに抗う流れへと刻を巻き戻してはいけない、と強く感じる訳であります。〔了〕