銃は人生を好転させてはくれない

ショットガンの水鉄砲を持つ幼い女の子

冴えない中年男性が謎の感染症によりゾンビ化する人々に散弾銃で立ち向かう日本サスペンスホラー映画の傑作「アイアムアヒーロー」(2016年:主演・大泉洋)。

パンデミックにより日常が崩壊していく様を描くと共に、最終的には「生」への強い意思と圧倒的な火力を持つ「散弾銃」でサヴァイブする、この2つの存在が強烈な印象に残る作品でした。

 

以前、私は「40歳になったら免許をとって散弾銃を買う」を目標にリアルに準備をしていた事があります。

ちょうど30代半ばで長女が産まれた際、割と真剣に、これからの混迷した時代を生き抜く事を検討した際(それが経済危機なのかパンデミックなのか戦争なのかは分かりませんが)最悪な事態を想定した時に、人里離れた田舎に武装して籠城する姿が(なぜか)リアリティを持ってイメージできてしまったのです。さながら前述の「アイアムヒーロー」のような話ですね。

米国ミリシアのような思想背景は無く、もっとマイルドかつピュアに「有事の際、愛する家族のセキュリティを守る」という意味で、人里離れた「セカンドハウス」と、立て篭もりの為の武装としての「散弾銃」という単純なものでした。

 

人里離れたところにある山小屋

「セカンドハウス」の購入については、どこか人里離れた奥地に小さな建物と庭を購入しようというもの。旧ソ連時代のロシアでは「ダーチャ」と呼ばれる菜園つきのセカンドハウスが広く庶民にも普及しており、これが経済的・社会的な危機においても自給自足の食料確保とセキュリティという両面を(延いては社会秩序の安定化を)担保したと言われています。

実際、ダーチャは新型コロナのパンデミックにおいても、人との接触を有効的に避けて巣籠もりができ、重宝されたのだとか。

 

家庭菜園で野菜を収穫中

そうした菜園つき「セカンドハウス」と「散弾銃」があれば、これから先、どのような極度に混迷した時代においても籠城できる、と考えた訳です(当時は未だ東日本大地震も原発事故も、そしてパンデミックも未経験な頃です)。


現在、40代後半となった私ですが、その後「散弾銃」も「セカンドハウス」も買いませんでした。何故なら(というか当然ながら)危機に対して孤軍奮闘し戦うよりも、困難時に於いては人々と協力・折衝しあって難局を乗り越える方が余程、生存率を高める現実的な解である、と東日本大地震などその後の災害を通じて理解したからです。

 

おもちゃの拳銃を手にする幼い少女

そもそも、どのような状況下であれ、人間に銃口を向ける目的で銃を所持しようという発想そのものが論理破綻しているのでしょうね。それでも第一子が産まれ、まだ若かった私には散弾銃が現実的なソリューションの1つに思えてしまったのですから恐ろしいものです。

 

冒頭でご紹介した映画「アイアムアヒーロー」ではゾンビとの格闘を経てラストは爽やかに描かれていますが、翻って原作の漫画家・花沢健吾氏が手がける原作漫画ではもう少しドライな終わり方をしています(Amazonのレビューでも賛否両論)。


結局のところ、仮に散弾銃が手元にあったとしても、その作用が「暴力装置」である以上、何かその人の生き方を大きく変える原動力となったり、道を拓くキーファクターと期待することそのものが「間違い」なのだ、と気付かせてくれる作品でもあります。〔了〕

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