森高千里の魅力はストレートさ
当たり前のように存在している物事の“凄さ“は見過ごされがちです。私は最近になって「森高千里」の凄さに気づきました。
80年代末からコンスタントにCM出演しており、世間一般の認知度も圧倒的な森高ですが、私は肝心の楽曲をあまり詳しく知りませんでした。
代表曲はカバー曲「17才」(1989年)、オリジナル曲では「私がオバさんになっても」(1992年)、「渡良瀬橋」(1993年)でしょうか。
一方で「臭いものにはフタをしろ!!」(1990年)、「ロックンロール県庁所在地」(1992年)、「ハエ男」(1993年)等、個性が強くて一般的な許容度を超える楽曲も多く(寧ろ大半ソッチ系で)其れ故、彼女の楽曲を網羅的に聴いた事が無い人も多いと考えます。私もその一人でした。
いま森高の曲を改めて一通り聴いて何より驚くのは(YouTubeに掲載されたライブ映像が印象的ですが)歌も踊りもクオリティが20代と50代とで変わらない点です。
当時27歳。
当時52歳。
一般的な歌い手は、加齢と共に高い声が出にくくなったり、歌い方にも“こぶし”が効いて来たりするのでしょうが、森高は違っていつの時代もファンの思い描く森高をストレートに表現してくれます。並々ならぬ努力の成果と考えますが、この一貫して「森高」である点が魅力ですね。
森高の良さを上手く言語化できないのですが、自身が手掛ける歌詞が「そこに書かれた言葉以上の深い意味を持たないストレートさ」と、それを澄んだストレートな歌声に載せていく点が魅力と私は考えます。
反面、熱狂的なファンほど深い意味を求めがちです。歌詞が暗喩するものを推察したり、時代性を重ねる等の「森高論」は90〜00年代当時にもサブカル雑誌で見られましたし、現在でもネット上で多く見られる他、学術論文検索でさえ出てくる程です。
反面、私はこうした”深読み”には懐疑的。一貫して森高は「オルタナティブ」且つ「インディビジュアル」な存在であったと感じ、そこに大げさな時代性や意味付けを持たない「ストレート」さこそ魅力と考えます。
※私の推し曲は「SWEET CANDY」(1997年)。当時シングルCDを購入しました。
[了]